公開: 2023年6月13日
更新: 2023年6月13日
第2次世界大戦後、占領下の日本を統治していたGHQは、1945年10月、治安維持法と宗教団体法の廃止を命じました。さらに、同年の12月、GHQは、人権指令と神道指令を発布しました。これを受けて、日本政府は、それまでの宗教団体法の廃止を宣言し、即日、宗教法人令を発表し、即日施行しました。これによって、宗教法人は、認可制から認証制にかわり、設立、規則の変更、解散が自由になりました。
明治政府が推進した「国家神道」は、その後の大日本帝国の軍事大国化への道を加速させ、国家に守られた「靖国神社」とともに、日本の国民を総動員した、第2次世界大戦への参戦を後押しする原動力になったと、GHQの高官達は考えたようです。日本の再軍備と軍事大国化を怖れたGHQは、それを防止する目的で、国家神道保護の政策や、靖国神社と日本政府との関係を絶つことが重要であるとし、その一環として、宗教団体法に代わる新法の制定を推進しました。
この新法の制定過程においては、明治以降の法学者や宗教学者達の間での、「宗教」に関する議論の深まりが、日本社会に欠けていたため、「宗教の本質が何か」、「基本的人権で守るべき信教の自由とは何か」などに関する、深い理解がないままに、法案が作成されたため、急速に多様化する日本社会で誕生した、様々な形態の宗教や疑似宗教によって形成された団体の宗教法人化を、適切に管理するための法制度としては、機能しなくなりました。その代表例が、1990年代に持ち上がった「オーム真理教」問題でした。、